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京王電気軌道を探してみる [趣味]

私の実家は調布市あたり(?)にあります。晩秋に実家住まいの高齢の母が体調を崩しまして、通院の手伝いや包括支援センターとの今後の打ち合わせなどのために平日に臨時休業を数日いただきました。年賀状印刷の繁忙期なのでお客様にはたいへんご迷惑をおかけしましたが、なにぶんにも今どき珍しくなった従業員なしの個人経営店なのでご理解をいただければと思います。
今年も残すところあと1週間ほどですが、なんとか体調が戻りまして無事新年が迎えられそうです。

今でも定休日には母の様子を見に実家に通っているのですが、時間的に余裕ができてきたので以前から気になっていた実家の最寄駅からそう遠くない、京王電鉄の千歳烏山駅付近で現役の京王電気軌道時代の構造物を見に寄り道してみました。

京王電気軌道とは大正2年4月に笹塚駅ー調布駅間(現在は京王電鉄が運行している)で鉄道を開業させた会社で昭和19年5月末に解散しました。
鉄道の歴史に興味でもなければ知らなくて当然ですが、鉄道会社での「京王」は前述の大正2年開業から現在に至るまで継続はされてはいません。京王電気軌道の解散というのは第二次世界大戦の勃発により実施されることになった陸上交通事業調整法により東京急行電鉄(いわゆる大東急・現在の東急線)に合併されることになったためです。
こうして発足したのが「東京急行電鉄京王営業局」で、終戦後の昭和23年6月に東急から分離して「京王帝都電鉄」が発足するまでは例えば、廃線となった支線の御陵線は東京急行電鉄御陵線という名称の路線でした。


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これが寄り道した目的の構造物で、千歳烏山駅にある京王電気軌道時代の鉄製の架線柱です。駅名は大正4年の開業当初は烏山でしたが、昭和4年に千歳烏山に改名されました。駅名の由来は駅のある場所が東京府北多摩郡千歳村大字烏山だったからみたいです。この駅はかつて島式ホーム2面4線で、新宿からの折り返し運転や緩急接続・通過列車の待避に対応していました。昭和32年、ホーム延伸に伴い待避線が使えなくなることから二駅八王子寄りの金子駅(現在のつつじヶ丘駅)を島式ホーム2面4線に改良して役目を譲り、現在の相対式ホーム2面2線になりました。現在行われている高架化工事では2面4線の駅になる計画らしいです。



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銘板(?)には設置年が昭和3年10月と書かれてあります。昭和初期から戦火にも耐え現在までここに立ち続けています。同時に設置された架線柱は仙川駅寄りにもいくつかまだ現役ですが、このホームに設置されている物だけ昭和レトロなイメージのモスグリーンに塗装されています。わざと?京王さんの粋な計らい??。



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駅を出て仙川駅方向に歩くと同じ架線柱がまだ活躍しています。




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同じく昭和3年10月設置と書かれています。




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まだまだあります。




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太陽が反射して読みにくいですがこちらは西暦で書かれています。


余談ですが、架線柱は他の鉄道会社でもかなり古いものが今でも使われています。令和元年9月に横浜市で京浜急行電鉄の踏切に立ち往生していたトラックに電車が衝突し脱線した事故で、この電車になぎ倒された架線柱は大正11年に設置された物でした。


東京都と京王電鉄は都市計画事業として京王線の笹塚駅ー仙川駅間の連続立体交差事業(工事)を行っており、架線柱含めこの景色は姿を消すこととなります。2023年4月完成の予定だそうですが、ド素人が現在の進捗状況を見てみると全然無理そうな気がするのですが・・(´・ω・)